独り言
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普段から悶々と考えている事柄をいくつか。
こんなことがあってもなんらおかしくないし、もしあったとしたら面白いなぁと思って書いたものの多くあります。ちょいと妄想壁があるんですね、ワタシ。
あと似た内容のものもいくつかあるかも。何か意見があればこちらからどぞッ。



生きるとは何ぞや
現在妄想中***





発展途上国と日本
発展途上国と日本に関してちょっと考える機会があったので、そのときに考えたことを事をここに記す。これはあくまで我の考えである。
最後まで読むなら覚悟しておいたほうがいいかも。かなり読みにくい文だと思う。
最近日本語が苦手で...。


「自分の行動は誰かに何かしらの形で影響している。」
この言葉を聞いて、あなたはどう思うだろうか。
私は発展途上国の状況やそれとどんな関係にあるのかをテーマにした番組はわりと好きで小4くらいからちょくちょくと見ていた。
そしていろいろと上手く説明できないが心の中にモヤモヤと感じるものがあったので、情報としてはいろいろ自分でも持っていて、何かしら考えはあるのだろうが、自分でも未だによく整理できていない。


とにかく同じ地球上には途上国があり、日本もその国々とは一見かかわりが無いように見えて実は何らかの形で関係があり(よい面でも、悪い面でも。実際は悪い面のほうが多い気がするが...。)、そんな関係の中にある日本という先進国に生まれ生活をしている自分はいったい何が出来るのだろう。そうゆうことだ。

まぁ、そうゆう結論に達してからも我はいまだに何も出来ていない。
行動として唯一上げられる事といったら何か途上国の話が出た時に自分の持っている情報を少しでも話して自分の感じているモヤモヤとしたものを他人伝える事くらい。
しかし普段生活している中で食事、被服、医療、技術...さまざまな面で途上国の事を考える機会はだいぶ増えた気がする。
特に食事面で考えることが多くなった。食事面の問題の例として一般的によく挙げられるのがエビの養殖。
日本には世界的に見ても一人当たりのエビの消費量がはんぱなく多い(確か世界で一番消費量が多いのではなかったかな?)。
養殖の地は主にフィリピンなどの東南アジア。
養殖のためにマングローブの森を伐採し、自然を破壊する。
その結果洪水などの水害に襲われ何人もの人々が犠牲となる。
また一度伐採されたマングローブの森はそう簡単には再生されない。
マングローブの植林には技術と時間を要する上、ハリケーンなどの天災も邪魔するのだ。
結局ちゃんと植わって成長するのは全体の20%にも満たないらしい。
しかしこんな状況を作る背景には日本人の食生活が関係しているのだ。そう考えると、なんとも心に詰まるものがある。
だからといって、同情すべきだとかエビを食うなどと言っている訳ではない。
何かしらでいいから考え、行動するべきなのではないかと思うのだ(何も行動できていない自分がこう言うのは一種の「逃げ」のようにも感じるのだが...。)。


自分は何ができるのか。
国は何をすべきなのか。
世界はどうあるべきなのか。
この問題を解決するのは大変な努力(:途上国に現在の状況を教えたり、技術を教えるなどの「教育」)と時間、人材、資金が必要な問題だが、いつかは(できればすぐにでも)必ず解決しなくてはならない。
それらの解決によって温暖化、異常気象などの問題の改善にもつながっていくと考えられる。

これらの問題は我々日本人も関係している(=人事ではない)今後の大きな課題のひとつだと考えている。
あなたはどう考えるか。





時間の話 ·¸¹º»¼½¾¿ÀÁŒŽ‘’‡ˆ‰Š
以前から「時間」というものについて考えるのがそこまで好きというわけではないが、まぁ、好きだったので長年いろいろと思案した事の一部をここに記す。

時間はアナログ?デジタル?
時間という存在を誰でも一度は考えたことがあるのではないかと思う。
ここでは誰も考えたことがあるだろうと思われる「時間」に関して自分なりに考えたことを記しておこうと思う。
·
時間とは常に繫がっていて川の流れのように一定に過ぎてくものなのか、それともアニメーションのように静止画の集まりが粒子状に無数と存在しそれらを「記憶」がリンクしてあたかも流れているように錯覚しているのか。またはそれ以外か、誰かもっと別の意見がある人がいたら是非メールで教えていただけたら有難い。

さてどうゆう概念のものなのだろうね「時間」とは...。
結局のところ誰にも分からないんじゃないかな。
お偉い学者さんでもよく分かってないらしいから一般人である我には到底分かる訳がなくいつまでもでも思案を廻らせることであろう。(そう分かっているんだったらヤメロヨナ...、これは一つの葛藤ってやつなのか?)。
もしかしたら時間はどれも同時進行していて、今現在自分が存在するこの時間も、十年後の自分がいる時間も本当は同時に進んでいるのかも。ただ見えていないだけで。
あの時こうしておけばよかったと思うことは誰でも一度くらいはあるはずだ。
その「こうして」を実行していた自分も別の世界にそれが当然な行動だったと認識して暮らしているのかもしれない。
例えばコーヒーを飲む時に目の前にミルクと砂糖があっとし、そこで何もいれず飲み、そのコーヒーを飲んだ時あなたが「ああ砂糖を入れておけばよかった」と思ったとする。
そう思った自分がいる世界は事実だ。
しかしもしかしたら砂糖を入れていた自分も、ミルクを入れていら自分も、あるいはどっちも入れたかその逆かをした自分も、飲む時にやけどをした自分も、こぼして結局飲めなかった自分も存在していて、今自分が持っている記憶はその中から抽出されたもののひとつだとしたら?
そう考えると世界は無限と存在することになってしまう。
時間の流れよりも速い速度が出せるものに乗ればその差の分だけ未来へ行くことができるという話を聞いたことがあるが本当だろうか、第一行っても良いものなのだろうか。
行ったところで絶望するだけっだりしてな...。
逆に戻る時はどうするんだ?
過去をいじくったらどうなる?
未来が変化していい方向に行くのか?
またはその逆か。地球が早く滅亡するか遅く滅亡するかも変えられる?
(いつかは地球もなくなることは分かっているらしい。まぁ、始まりがあれば終わりも必ず来るものだ。)
変わってしまったところでその変化がわかるのは変えた本人だけ。
大半の変えられた人たちはその変えられた歴史が当然なものなわけでそれが以前は違う歴史でそこではそれが当然だったなど知るはずもない。
つまりは今正しいと思い込んでいるこの世界も本当は何度も改変されたまたはその途中のものなのかもしれないといることだ。
そんなことがあるわけがないとも言い切れない。
そうでしょう?今の自分達は未来がどうなっているのかなんて知ることが出来なのだから。まぁ、そのおかげで今を生きる我々にはいろいろと努力したりと楽しみがあるのだがな。
タイムマシンというような夢の時間飛躍装置なるものだってこの先できないなんて保障はどこにも無く、あっても何らおかしくないのだ。それによって何度も自分が正しいと思っていた唯一無二のこの世界が改変されていたり、現在に飛んできた一人の未来人が一社会人として普通に生活していてもな。お隣さんが未来人であっても別段不思議ではないわけだ。
だが、もしそんなことが本当にあるのならば未来人さんよ、我としてはもっと住みやすい世界に変えてほしいな、ハハッ。
何も問題のない平和的世界にな、うん。
それともそれでは何か都合の悪いことでもあって敢えてそうしているのかな。
まぁ、今の世界もいろいろと問題があってこれはこれでいいのかな、何もないよりは。
いろいろ協力して問題解決に取り組むのも。
何度改変されても我々には分からないがな。それが当然の世界となっているのだから。

ずいぶんと話が跳んだな。
まぁ、なに、今日は疲れたからこのへんにしておこう。





外語について
英語とかを勉強していると語順が違うことに苦労する。
それから文を読んでいると、語順が違うのでもちろん感情の変化の順番が違う。
どういうことかというと、例えば、
> 「私は昨日公園できれいな花を見つけた。」
> 「I found the beautiful flower in the park yesterday. 」
この二つは結果としては同じ意味を指す文だが、なんとなく感じ方と言ったらいいのか...、何と言ったらよいのかよく分からないが、 そうゆう細かい部分で読み取った時の感情の差が生まれるのではないか。
つまりは違う言語を使っている以上全く完全に感じた感情をそっくりそのまま正確に相手に伝達するということは結局のところ不可能なのではないだろうか、ということである。

日本語の場合、
> 「私は昨日公園できれいな花を見つけた。」
「誰が」→「いつ」→「どこで」→「どんな」→「なにを」→「どうした」、と基本的には変化していく。
(まぁ、日本語の場合、てにをはさえしっかり抑えていればさほど語順は重視しなくてもいいというような感じではありますが...)
一方、英語の場合は、
> 「I found a beautiful flower in the park yesterday.」
「誰が」→「どうした」→「どんな」→「なにを」→「どこで」→「いつ」、と変化していく。

何かこうゆう語順の違いで変化が生じ、伝えたい感情をそっくりそのまま伝達することは出来ないのではないかという気がする。
違う言語を使っている以上いくら翻訳しても自分の感じていることをきれいに伝えることはたぶん不可能なんじゃないだろうか...。
また、英語は基本的にアルファベット26文字と「!」や「?」、それから「.」「,」「"」の合計31文字で文を作る。
そしてアルファベットそのものには意味はない。組み合わせることによって初めて意味を持つようになるタイプの語である。
新しい単語を作るとしたらこれまでにない配列でアルファベットを配置していこくことになり、必然的に単語自体は長いものとなっていくしかないか、これまでになかった発音しにくい文字列を作っていくことになってしまう。
(ちなみに一番長い単語は「
Pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis」らしい。この単語は医学用語らしいので普通の辞書には載ってない)


それに比べ日本人である私も使う漢字というヤツは、一文字ひと文字に意味が込められていて、またその数もアルファベットやその他拡張文字をも含めたものと比較してみても比べものにならないほどの数が存在する。

ところで、右のを見てもわかると思うが中国語は英語に比べて、ものすごく短い文で同じ意味の文が作ることができることがわかる。
比較的短い文章で同じ事柄を表現することができるので紙の節約にもつながるな。
そんなことを考えてこんな表を作ってみた。
日:「私は昨日公園できれいな花を見つけた。」
英:「I found a beautiful flower in the park yesterday.」
中:「我昨天在公园发现了漂亮的花朵。
言語→
比較項目↓
中/台/香
常用文字数 約2100字

≪内訳≫
・ひらがな48字
・カタカナ48字
・常用漢字1945字
・「、」「。」「括弧」「?」「!」
・「アルファベット」
など
約70字

≪内訳≫
大文字26文字
子文字26文字
「,」「.」「"」「?」「!」など
中国本土:約2550字
台湾:約4900字
香港:約4050字

≪内訳≫
漢字:
 中国本土:約2500字
 台湾:約4808字
 香港:約4000字
・「、」「。」「括弧」「?」「!」

・「アルファベット」
・(台湾は更に「注音符号」系41文字分)
ハングル(チョソングルチャ)は多すぎてどれが常用なのかわからん。
と、更に漢字約1800字
文字種 ひらがな
カタカナ
漢字
アルファベット 漢字 ハングル(チョソングルチャ)
漢字
語順 ---略--- ---略--- 大半は英語と同じ。
いくつか日本語と同じものもある。
基本的には日本語と同じ。
「てにをは」 ---略--- 基本的には、
「は・が」=「is,am,are,be...」
「の」=「of」
「に」=「at,to,for...」
「で」=「by...」。
「を」=ない。
※ 動詞の後に名詞を置けば「を」の表現となる。
などなど...。
「は・が」=「是」。
「の」=「的」。
※ 「の」は日本語と同じ語順で使う。
「を」に相当するのはない。
※ 動詞の後に名詞を置けば「を」の表現となる。
※ 文によっては「把/將」が「を」の働きをすることもある。
「は」=「는」。
「が」=「가」。
「の」=「의」。
「に」=「에」。
「を」=「를」。
「で」=「로」。
「と」=「와」。
「も」=「도」。
主語の短縮
(かなり頻繁に)

(基本的には)

(少ないけど)
知らん
文の長さ 比較的長い 長い 短い 長い
その他 ---略--- ---略--- ※ 「n」または「ng」の音で終わる字が多い。

※ 句読点は「、」「。」の他にもうひとつ、「,」の使い分けがあるらしい。
※ 「てにをは」に相当する文字の後にスペースを入れ、次の単語とつなぐ。

※ スペースで単語をつなぐというのは英語と似ているが、語順や「てにをは」考えると日本語にも似ている気がする。



さて、今は4言語しか挙げていないがどの言葉が一番すぐれているのかと表にして考えてみた。

文の長さ
(:スペース多し)

(:ひらがなが多い)

(:スペース多し)
一文字の画数
(:1~2画が大半)

(:1~最大48画と幅広い)

(:漢字は多いがひらがなの画数は少ない、また日本語の文は送り仮名などで漢字よりもひらがなの割合のほうが多い)

(:1桁台の画数ばかり。)
一単語(熟語)の文字列の長さ
(:熟語は2文字が基本)

(:熟語は2文字が基本)
基本発音数
(:26音の組み合わせ)

(:子音×母音×声調=約6160音 この中にはもちろん使われてない音も含んでいます)

(:基本50+半濁25音 促音、長音は含まず)

(:考えたくもないような音数)

・・・一番すぐれているのなんてない?
どれもそれぞれ長所と短所が存在していた。
中国語は基本的に文章は短くてすむが、1文字1文字の画数がアルファベットとは比べ物にならないほど多い。
英語、訓民正音はそれぞれ1文字1文字の画数は少ないが文その分長くなる。
(特にこの二種の言語は単語をスペースで連結して文を作るタイプの形態なので)
日本語はそれぞれそれらの中間くらいかな。平均のとれていると言うべきか中途半端と言うべきか。






言葉の壁、宗教。
現在妄想中***





差別眼
現在妄想中***





理想と現実
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不確定な幸福を信じる強さ
現在妄想中***





自分というちっぽけな存在
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贖罪
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地球の自転が突然停止したら...。
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太陽がなくなったら...。
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地軸に23.4度の傾きが無かったら...。
現在妄想中***